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縁覚の経典1~般若経典入門~

経典とは互いに響きあうものである。

『大日経』と出合ったことで真言密教の道に進んだ弘法大師のように、
修行者の運命を変える一巻が この世のどこかに存在するかもしれない。
その一巻に出合う道もまた正師と出会う道のように暗中模索を要するだろう。

また、己れと共鳴する経典は修行の程度に応じて違ってくるもので、
それを見出せるかどうかは修行者のセンスと真剣さにかかっている。
とはいえ、多少のガイドがあれば己れの一巻を見つける足しにはなるだろう。

縁覚道の歩き方を学び始めた40歳の8月に私は印象的な夢をみている。
私のもとに経典の巻物一式が贈られ、そこに一筆添えてあった。

「よくそこまで修行した。増上慢に気をつけよ」

私が“般若経典”を手にしたのは、それから後のことである。

ここでいう“般若”とは“彼岸に至る智慧”を意味している。
したがって、必ずしも『般若心経』『金剛般若経』などの経典を指すのではなく、
彼岸に至る智慧の書かれたもの全般を“般若経典”と呼ぶことにしたい。

私が40歳の8月以前に好んで読み込んでいた経典は二冊ある。
『法句経(ダンマパダ)』と『法華経(ロータス)』だ。

矢印マーク ブッダの真理のことば・感興のことば
こなれた現代語で読める法句経(ダンマパダ)
私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

『法句経(ダンマパダ)』は私の仏教に対する誤解を解いてくれた経典で、
お釈迦さまは悟りに至るための自我暴露の法を説いていたことがわかる。
最初に手にした33歳から40歳まで何度繰り返し読んだかわからない。

経典の霊験とか菩薩や明王の御利益を求める信仰の誤りにも気づけるから、
あらゆる経典への入口がここにあった。

矢印マーク 『図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説』
妙法蓮華経は人類共通の故郷の言葉で説かれている。
だから『法華経』は、最後まで読みきっても、
「どうせ読んだってわからん」としか書いていない。
禅者諸君!故郷の言葉を思い出せ。
さすれば“妙法蓮華経”が聞こえてくるだろう。

もう一つの『法華経』は悟りに至るための自我暴露の法を説いたものではない。
修行の指針および伝道の指針について書かれた経典である。とはいえ、
この『法華経』の性格を知っていた人物を私は百丈禅師くらいしか知らない。

ある意味、『法華経』は特殊な経典で、悟った人ほど誤読してしまうらしい。
普通の経典は悟りに至るための自我暴露の法を説いたものであるため、
そういう観点から読むと『法華経』の価値を誤解することになるのだ。

『法華経』は修行を完成した伝道者の落とし穴について書いてある。

修行の最初に読んでおき、そして修行の最後にも伝道のために読む経典。

それだからこそ大乗経典『法華経』は“諸経の王”なのかもしれない。

しかしながら、40歳の8月を迎えていた頃、私は限界を感じていた。
この二冊の経典が私の心をグリップする能力を失ってしまっていたのである。
すなわち、かつてのように読み耽(ふけ)る力がいまいち湧いてこないのだ。

そこで、あの夢をみた直後から新たな経典を物色することにした。
ここに私が訳出するものはその途上で共鳴しあった般若経典群で、
絶版で入手困難だったり、訳がひどくて読むに耐えなかったものばかりである。

これら般若経典群を読みはじめる前にひとつだけ注意点を述べておこう。

とにかく初心のうちは絶対に手を出してはいけない。

経典とは互いに響きあうものであるから共鳴しあう時節まで待つべきなのだ。

たとえるなら初心の頃はヒヨコが卵の殻の中で育つ発生時代といえる。

私は星まわりの法則を研究したり、天才作家の自己イメージを作り上げることで、
32歳から40歳までの8年間の長きに渡って己れの自我を完成させてきた。しかし、
般若経典群は それら法則や自己イメージの概念をぶち壊す真逆の教えなのだ。

それは自我の完成者が自我放棄に向かうための“縁覚の経典”なのである。
この段階的手順は明確にされてこなかったため、身のほど知らずの修行者は、
いきなり法則や自己イメージを否定し始めるけれど、それは大きな間違いだ。

自我を完成させる前に法則や自己イメージの概念をぶち壊そうとすることは、
ヒヨコが卵の殻をみずから破る時節を待たずに卵を割る行為に等しい。
それが取り返しのつかない結果を生むことは想像するにたやすいだろう。

まず法則を受け入れ、法則を信じ、正しい自己イメージの殻を身につける。
そうして己れの本心を見性する方法を学んだ者だけが自我を完成できるのだ。
こうした見性の過程を無視して精神分裂を起こした修行者を私は知っている。
ichojikinyu

禅は頓悟をたてまえとする伝統があるため こんな禅語も存在しているけれど、
これが「一超直入精神病院」になったら冗談にもならないではないか。

自我完成に至る道は人格統合の過程でもある。心理学の発達した現代なら、
その過程を無視すると精神分裂を起こすことは容易に理解できるに違いない。
つまり、般若経典群は初心者にとっては危険な経典ともなりえるのだ。

そうした般若経典の性格をよくよく心得てもらいたい。

それでは自我を完成した禅者諸君。自我放棄の経典群をご案内しよう。

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