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実践!現成公案1~天才作家の死んだ日~

運命には課題がある。

私はそれを己事の現成公案(こじのげんじょうこうあん)と呼んでみたい。

我が禅風は入室参禅(にっしつさんぜん)を用いず。
師家から与えられる公案よりも、日常生活にまさに現成している公案を重んじる。
己事の現成公案の解き方を心得ることが威儀即仏法、作法是宗旨に通じるのだ。

己れ自身の成長のために運命から与えられる公案をいかに透過するか?

ここの消息を説く師家は少ない。
しかし、己事の現成公案に参じることが禅の本筋だと私は信じている。
今日はその一端をご覧に入れよう。試みに挙(こ)す、看よ。

Case1 天才作家の死んだ日

あれは40歳の秋、10月8日の夜坐のことである。

36歳の第三の結節解放時に夢の中で与えられた公案を突然解いてしまった。
しばらくして、それを象徴する言葉を『碧巌録』に見つける。「面南看北斗」。
それはボクが観照の視点を手に入れ始めた瞬間だった。
(看話閑話「面南看北斗」の【評唱】については、またいつか)

その日以来、世界観がまるっきり逆転したので、これで先に進めると思った。
とはいえ、まだ“内なる声”の意味を解き明かしていない不安は残っていた。

「オマエの修行は完了した」

39歳の8月4日の深夜2時ごろ、ふと目が覚めた瞬間に聞こえてきた内なる声だ。
何の修行が完了したのか。何も終わってないし、何も始まっていないじゃないか。
そんな思いを募らせながら まるまる一年を過ごし、40歳の10月を迎えていた。

レイ・ブラッドベリ大全集
旅館の方のご好意でGET。
煤(すす)けた古い本だけど宝物である。
図・布施仁悟(著作権フリー)

あの内なる声を聞いた翌日、北海道・洞爺湖畔にある温泉旅館に泊まった。
そこのラウンジにある本棚から一冊の本を手に取って、これのことか、と思った。
米国のSF作家・レイ=ブラッドベリのエッセイ「禅と作文技術」の一節だ。

この小論を読み終わるやいなやさっそく取りかかろうと、なんらかの予定を立てるだろうか?
どのような予定か?
ざっとこんなところだ。今後二十年間、毎日、千語から二千語書くこと。


(訳・酒匂真理子「禅と作文技術」『別冊奇想天外No.14 レイ・ブラッドベリ大全集』P.185)

つまり、35歳から志していた作家への道が開けたのだと思った。
今から20年間書き続けろと。その本を持ち帰るわけにもいかないので、
ラウンジで走り書きしながら筆写していたら、旅館の方が言ってくれた。

「そんなに気に入ったのでしたら、お持ちになってください」

何という偶然、否、必然。作家デビューは決定的だと思った。

しかし、さっそく文章を書き始めたものの駄文を書きなぐることになった。
松本清張なんかは処女作のアイデアは突然浮かんだなんて言っていたのに、
何にも浮かばない。当然、ほどなくして、ただの勘違いだった気もしてきた。

何かが足りない。一体、何の修行が完了したというのか。
たぶん、それがわかれば道は開ける、と思うようになった。

やはり、40歳の10月8日に世界観がひっくり返ったことは転換点だった。
それまでは、傷つくまいとする心と誰かを傷つけようとする心を
観察するばかりで、それらを引き起こす正体を突き止められずにいた。

たとえば、傷つくまいと身構えたときに起こる自己弁護の内容。
あるいは、誰かを傷つけようとしたときに巡らせる幼稚な思考の内容。
そうした思考内容については観察できていたけれど原因まではわからなかった。

つまり、40歳の10月8日以前の観察は対処療法でしかなく根本治療ではない。

それらの思考が起こってくる根本原因はどこにあるのか?

10月8日の気づきは、その根本原因へのアプローチを可能にしたらしい。

ボクは作家志望であるからメモ魔である。とにかく気づいたことを書きまくる。
この現象世界に変化が起こり始めたのは、このメモを残した前後のことだ。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい。 ―
(10月25日のメモ)

ボクの運営していたブログのコメント欄に勇気ある意見が投稿されてきた。

たとえば、こんな風なものだ。

なんていうか、書いている事が複雑すぎ、その上、要点に迫っていないような気がします。

なんか、瑣末な事を書いてるだけ、みないな。


(10月28日の投稿)

こんなのもあった。

(敢えて言わせていただきます)岩波文庫(権威主義?)のあれやこれやに気を配り(?ではないのかな?)声聞だの縁覚だの、なんでくだくだと説明されるのか理解に苦しんでいます。

(10月31日の投稿)

これを読んだとき、自称・天才作家としての自尊心が反応する様子を観た。
ただ、このときわかったのは心の中に何か変なやつがいる位なものである。

それにしても、ボクには彼らが何を理解できないと言っているのかワカラナイ。
そこで「そのうちワカルんじゃない?」なんて返事をしておいた。

これくらいなら、まだいい。強烈なのもあった。

その修行の過程をたどれば、本当に才能が開花して、世に出るつまり、出世できるのかのう? オタクがゴタクを並べるだけの集りに終始せぬよう気をつけないといけませんな。

(10月24日の投稿)

「オタク」で「ゴタク」ときたもんだ。しかし、図星をついている。

当時、ボクの抱えていた問題を見抜いているなら実力のある禅者だ。
そうでなければ、ただのアホだ。その判別がつかなくて迷った。
とりあえず「オタク」で「ゴタク」は失礼だから罵倒することにした。

― ゴタクかどうかは自分で実践して確かめるしかないことだ。「やれるもんならやってみな」としか言いようがないね。 ―

とはいっても、これはボク自身のことでもあるんだよな…。

とにかく、「オタク」で「ゴタク」に反応して烈しく起こる思考を
観察しているうちに、この気づきに至ったことは間違いない。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい。 ―
(10月25日のメモ)

普通は嫌がるけれども図星をつかれたほうが気づきは大きい。
凡人ではあるまいし、そこで耳を塞いだり、幼稚な反論をして逃げ出すのは、
禅者失格なのである。喝棒を受けたときの心の観察が禅の生命線なのだ。

ある意味、禅者とは、マゾなのかもしれない…。

さらに、この投稿主から最初の二つのコメントを受けてこんな投稿があった。

やはり、そう感じる人もいるのだな。布施さんよ、息詰まりを感じているのじゃよ。つまり、おたくがごたくを並べはじめてる予兆があるのではないかと、、、布施さんはそやつらとは違う、迫るものがあったと皆、あなたを認めての発言だと思う。

(10月31日の投稿)

またもや「オタク」で「ゴタク」ときたもんだ。ま、口が悪いのはボクも一緒か。

たしかに“息詰まり”はずっと感じていた。39歳8月からの長いスランプだ。
この投稿者の般若(智慧)は本物で、たぶん、何かを教えてくれようとしている。
それでも、やはり「オタク」で「ゴタク」は失礼だから反論することにした。

― それは芋虫たちがサナギになった仲間に向かって「どうしちゃったんだよ?」と言っているようなものである。芋虫が胡蝶になったとき、それでも葉っぱの上を這いずりまわるだろうか。 ―

生意気言うよね、ボクも…。

たしかに各人の投稿の焦点は少しズレている気がするけれども一理ある。
みんな口を揃えて「何か違う~」と忠告してくれているのだ。とはいえ、
自身の知識と経験に照らして表現するために的外れに感じることもある。

それは当然のことで仕方のないことなのだろう。
これは己事の現成公案なのである。
その答えはボクの中にしかないと初めから決まっているのだ。

そう考えたとき、学生時代に読んだエマーソンの言葉の意味が腑に落ちた。

どんな人間でも、何かの点で、わたしよりも優れている ― わたしの学ぶべきものを持っているという点で

(D・カーネギー『人を動かす』第一部 人を動かす三原則 第二章 重要感を持たせる)

D・カーネギーの『人を動かす』にあった言葉で、20年かかってようやく理解した。

― 困ったときは誰かが忠告してくれる。ただし、解決の糸口はその表現の裏側にある。 ―

エマーソンもこの現象世界のカラクリをそう観察していたのだろう。

とにかく、彼らの言うように、何かが違うらしい。
そして、おそらく、その答えはここにある。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい。 ―
(10月25日のメモ)

宝処(ほうしょ)近きにあり!さっそく、証果があらわれた。

頭部の中心点(気の流入口)
証果は心随観による自我暴露で得る。
それが布施仁悟の禅だ。
自我暴露でない瞑想は瞑想ではない。
図・布施仁悟(著作権フリー)

36歳の第三の結節解放後に形成された頭部の中心点が移動を始めたのだ。

頭部に作られたこの中心点がふさわしい確かさを獲得したなら、それはもっと下方に、つまり喉頭部の辺りに移される。このことは集中の行をさらに続けることによって達成される。

(R・シュタイナー『いかにいて超感覚的世界の認識を獲得するか』P.171「霊界参入が与える諸影響」)

R・シュタイナーの『いか超』にあるこの記述は、ほとんど神話のようだった。
それが実際に身に起こったのが10月29日の深夜2時頃のことである。
「よっしゃ!これで課題はクリアしたも同然だ」。途端に有頂天になった。

こんな風に増上慢に傾きかけたときは 夢が必ず警告を与えてくる。

嫌味くさいやつがあらわれ、己れの過失を棚上げにしてボクを責めてくる。何の話をしていたのかは憶えていないけれど口論になった。
「オマエは○○○だ」
「オマエこそ○○○だ」
なんてやりとりを何度か繰り返しているうちに、制御が効かなくなり、ついに殴りかかったところで目が覚めた。

一度でも感情にとらわれると行動の自制が効かなくなって暴走してしまう。感情が行動に及ぼす影響とその過程をまざまざと見せつけられた。おっかねえ。


(10月30日のメモ)

R・シュタイナーの『いか超』によると喉頭部の辺りに中心点が移動すると、
つまり、気の流入口が喉の蓮華(ヴィシュダ・チャクラ)に形成される頃から、
頭脳の構造が変化し、思考頭脳、感情頭脳、意志頭脳の三つに区分される。

そこで得られる能力がこのようなものだそうだ。

以前なら、燃えるような愛情や恐るべき嫌悪に襲われたであろうような事実を前にしても、今はまったく無感動なまま、その前に立つことができる。 以前なら思わず熱中して行動に向かったであろうような思考内容を心中に抱いても、何もしないで、じっとしていることができる。

(R・シュタイナー『いかにいて超感覚的世界の認識を獲得するか』P.220「神秘修行における人格の分裂」)

すなわち、色受想行識の五蘊の結びつきが開裂して個別に観察可能になる。
五蘊開裂。さしずめ仏教理論ならそう説明できるようなものだろうか。
ボクが「おっかねえ」と感じたのは、この『いか超』の警告せいだ。

思考と感情と意志力のこの相互分裂は、神秘学上の指示を無視する場合、修行の過程で三つの誤謬を犯すことを可能にする。 これらの誤謬は、高次の意識が相互に分裂した三つの力をいつでもふたたび自由に調和させうる能力を獲得する以前に、すでにこの分裂がはじまってしまった場合に生じる。

(R・シュタイナー『いかにいて超感覚的世界の認識を獲得するか』P.221-222「神秘修行における人格の分裂」)

三つの誤謬というのは、いわゆる“精神分裂症”のこと。
ボクの知っている修行者の中にも、突然、変な文章を書いて送ってきた人がいて、
よく考えてみれば、それは「喉に穴があいた」と言ったときからだった。

その修行者の場合、胸の中丹田の活性しやすい霊能家系に生まれていた。
白隠禅師のように最初に“一瞥の見性体験”をするのはそういう人たちである。
中丹田に精神集中する無謀をせずとも活性する。それは素質ではあるけれど、
問題は胸のアナハタ・チャクラが活性すると5年後に喉の蓮華が開くことにある。
矢印マーク 参考(白隠の一瞥の見性体験):【坐禅作法66】神秘体験とは何か

本来、坐禅は最初に上丹田を開発する安全確実な行法になっている。ところが、
白隠の場合は 24歳のときに中丹田を活性してしまったため禅病にかかった。
その後、白幽子を訪ねて臍下丹田の開発法と内観法を教わったのが26歳のとき。

それを修すること3年。喉の蓮華がひらく5年後になんとか間に合うことになる。

何の幸ぞや、中頃好(よ)き知識の指南を受けて内観の秘訣を伝授し、密々に精修するもの三年、従前難治の重痾(じゅうあ)はいつしか氷雪の朝ぎに向かふが如く、次第に消融し、宿昔(しゅくせき)歯牙を挟む事を得ざる底(てい)の難信難透、難解難入底の悪毒の話頭は、病に和して氷消す。

― 何の幸いであろうか、修行の途上で白幽子という善知識の指南を受けることができ、そこで内観の秘法を伝授され、こまやかに精修すること三年。従前の難治の重病は、霜雪が朝日に照らし出されて融け去るように、かつて歯の立たなかった難信難透、難解難入の公案も、病の回復と同時に氷解してしまった。(意訳 布施仁悟) ―

(白隠禅師『遠羅天釜 巻の上』)

以来、白隠禅師が臍下丹田を強調するようになったのは、こうした事情がある。
間違って中丹田を先に活性化してしまった後進への老婆心だったのだ。

また、公案を透過できるようになったのも間違いなく内観法のおかげだろう。

本来の面目、己身の弥陀。本分の家郷、唯心の浄土。

これはひとえに観照の視点へ転換するための呪文になっているのである。
矢印マーク 参考:【坐禅作法44】白隠・内観の秘法指南

ボクの場合は、36歳の第三の結節解放時に胸の中丹田がジンジンして活性した。
40歳になって5年目に突入したとなれば喉の蓮華が開くのは時間の問題だろう。
もちろん、間違っても精神分裂症患者になるわけにはいかない。

そこで、ここで中途半端をせずに、一槌(いっつい)を決めておくことにした。
まずは現在の運命の課題を明確にしておいたほうがいい。
そういうときに役立つのが祖師の足跡である。

矢印マーク 山岡鉄舟 剣禅話(タチバナ教養文庫)
まさかの山岡鉄舟居士。
どこにヒントが転がってるか?
それは、誰にもワカランのじゃ。

祖師の足跡を知るなら自伝に及(し)くものはない。

ボクがはじめて祖師の足跡の見つけ方を知ったのは37歳の頃。
ユングの自伝を読んだときだ。それは内観の実況中継になっていて、
自分もユングの足跡をたどるように内的体験を経ていたことを知った。

しかしながら大悟した祖師方というのはなかなか自伝を残してくれない。
「自伝は書いてもいいが死んでからにしとくよ」という境涯にあったから、
大悟しておきながら自伝を残した白隠禅師は相当な変わり者である。

後進にとって自伝が最も役に立つと白隠は知っていたのだろうか。

白隠禅師のように自伝を書き残してくれた人物がほかにもいる。
幕末から明治の剣豪・山岡鉄舟居士。
その剣法論『剣法と禅理』に大いに感得するところがあった。

鉄舟は40歳のとき京都の嵯峨天龍寺の滴水禅師に参じる。
そのとき剣法と禅の理(ことわり)は一如ではないかという見解を述べ、
それに答えた滴水禅師にこんなことを言われる。

おまえのいうことは正しい。しかし、自分らの考え方にしたがって遠慮のないところを批評するとすれば、現在のおまえは眼鏡を通して物を見ているようなものだ。たしかにレンズは透き通っているから、さほど視力を弱めることはないとはいえる。しかし、もともと肉眼になんの欠点もない人は、どんなによいレンズであろうとも、ふつう物を見るときには使う必要がないばかりか、使うことが変則であり、使わないのが自然というものだ。
現在のおまえは、このことを問題にするところにまで進んできている。もし眼鏡という障害物を取り去ることができるならば、たちまち望みどおりの極地に到達できるにちがいない。


(高野澄編訳『山岡鉄舟 剣禅話』P.39-40「剣法論」)

傷つくまいとする心と誰かを傷つけようとする心を観察したり、
本心に照らして己れにふさわしくない願望を手放していくと、
据(す)わりの悪い感情を抱かせている原因を知ることができる。

その原因とは、偏見・迷信・妄想・詭弁その他の独断的理念ないし信条のこと。
それらをあらかた手放してしまうと、そこに声聞道のゴールがある。

滴水禅師はそれを“眼鏡のレンズのくもり”に喩えているのだとわかった。
たしかにレンズが透き通ってくると本心にしたがってブレることなく、
己れの信じる道を歩むための智慧が生じる。ここが自我の完成である。

自我を完成したら今度は自我を放棄する修行が始まる。それが縁覚道だ。
滴水禅師は自我のことを“眼鏡そのもの”に喩えているのだとわかった。
今度は偏見・迷信・妄想・詭弁を生み出す根本原因・自我を失くしていけと。

10月8日に手に入れた観照の視点は自我の動きを外から眺める視点である。
観照の視点の獲得は自我を放棄する縁覚道の入口だったらしい。
それまでは自我の中にいたけれど観照の視点に立つと自我の外に出られた。

鉄舟の足跡、見つけたり。むしろ、背中が見えたと言ってもいいだろう。

― どうやら自己満足、自己保存のために思考の堂々めぐりがはじまることもあるらしい。 ―
(10月25日のメモ)

おそらく、この自己満足、自己保存の執着を生み出しているやつが自我だ。
ただし、どうやって手放したらよいものやら、さっぱりわからなかった。

「狗子(犬)に還って仏性有りや無しや」
趙州(じょうしゅう)和尚は答えた。
「無!」

趙州の「無」の字を拈提(ねんてい)しろと唐の時代に黄檗禅師が言ってから、
馬鹿のひとつ覚えみたいに、むー、むー、むー、むーやるようになって、
「むーっ、むーっ、とやっていれば、いずれ拓けてくるものがある」などと曰う。

祖師方は どいつもこいつもアホじゃないか、と思った。

ボクが知りたいのは自我の手放し方であって、むーむーじゃない。
無論、どんな語録を読んでも、ボクの知りたいことに答えている禅師はなく、
とにかく心随観を続けるより他はなかった。かくして、気づきは突然訪れる。

>僕は自分のことを天才だなんて思ったことは一度もありません!
ってあながち嘘じゃありません。


そうなの?そりゃあ、人生損してるぜ。布施仁悟の天才きどりはサルヴァドール・奇天烈・ダリ様ゆずりなのさ。

オレはドラッグはやらねえ、オレさまがドラッグだからな。
(ダリ)


(11月4日の投稿)

「自分の中にダリがいるっ!」

ブログの投稿者にこの返答をしたとき、はじめて気づいた。
自己満足、自己保存の執着を生み出している主体は、こいつじゃないか。
さらに、その二日後、みずからブログの記事に書いた文章を読み返していた。

まあ、そりゃあ、布施仁悟のおとーさんは、自称・天才作家ですから、温めているアイデアがある。 でも、時節が到来しないとそれらのアイデアは、文章のなかにピッタリ収まらない。 この感覚がわかるのは才能なのかな。

だから天才作家は伝家の宝刀をそうやすやすとは抜かないものなのさ。


(11月3日の記事)

この箇所を三度くらいリフレインしたときだっただろうか。
突然、ボクの中から天才作家の自己イメージが脱落して死んでしまった。
その様子は、まさしく、どこかの善知識が語っていた言葉通りだった。

自我は観られれば厭離(おんり)される。

その自己イメージはただ観られただけで死んだ。11月6日のことである。
そのときボクは生き返った気がした。実に死ぬことは生きることだったのだ。

すると「オマエの修行は完了した」という内なる声の意味もわかってきた。
35歳から作家を志したボクは“天才作家”の自己イメージを作り上げることで、
創造的知性(ミューズ)との付き合い方を学んだ。才能に自信がなかったからだ。

でも、内なる声を聞いた39歳8月の時点では相当な自信を持っていた。
自分の中にミューズが息づいていることを確信できるまでになっていたからだ。
しかし、天才であるからには万能でなければならない。失敗も許されない。

それは逆に息苦しいことでもある。

天才作家の自己イメージを失うまいとして身構え、思考の堂々巡りが始まる。
己れの存在価値を再確認するために記憶を呼び起こし自己満足を得ようとする。
苦労してでも一流の作品をものにしようとするから苦悩の連鎖がはじまる。

「オマエは、もう、必要ないんだよ、いいかげんにしてくれ」

三度のリフレインを繰り返したとき天才作家は納得の上で死んでいった。

殺せ、殺せ、我身を殺せ、殺し果てて、何もなき時、人の師となれ
(至道無難禅師)

ボクはこうして縁覚道の歩き方を学んだのである。

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