Good Luck!

月日の経つのは本当にはやいもので、すでに8月3日を過ぎて、いよいよお別れの季節がやってきました。

なんとなく気づいてる人もいるとおもいますけど、8月3日というのは半年前の2月3日の節分と対になってまして、運命の流れが変わる節目を意味してます。 そこから8月20日くらいまでの魔法の通廊を抜けると、いよいよ新しい世界がはじまるのね。

こういうのは民族の運命も一緒で、8月6日と9日に原爆が落とされて終戦したのが1945年8月15日でしょう? で、マッカーサーが厚木基地にやってきたのが8月30日。 まあ、これは私の生まれる以前の出来事なんだけど…。

私の記憶の中では1985年8月12日の日航機墜落事故が衝撃的な事件だったかな。 最初「機体がレーダーから突然消えた」という報道があって、しばらく墜落現場を特定できなかったのね。 なんだか時空が歪んだような感覚を与えたあとに、凄惨な現場の状況が次々に報道されてきた。 国民的なタレントだった坂本九がそこに乗ってたりして…そのあとバブル景気に突入して、いまはこんな世の中になってる。 1985年8月というのは、そういう魔法の通廊になってたんだ。

ボクは明日、大学時代のサークル仲間に会いに旅に出る。 40-42歳の大厄で完全に昏睡しちゃった人たちに「最後のニュース」を運ぶという嫌な役まわりがあって、ボクはどうしても会ってこなくちゃいけない。 この日を迎えたときに「Good Luck!」と言えればよかったんだけど、ボクが伝えるのは「Good night!」みたいで。 なんだか気が重いよ。

Good Luck!Tours 2017
ひとつのリンゴを君が二つに切る
こんなことはなかった 少し前までは

『Good Luck!』といえば、井上陽水が今年のコンサートツアーのイメージ写真でリンゴを剥いてたんだけど、この人は何でこういうことができるのか、私はいまだによくわからないんだよね。

ひとつのリンゴを 君がふたつに切る
ぼくの方が少し大きく切ってある
そして二人で仲良くかじる

こんなことはなかった 少し前までは

薄汚れた喫茶店の バネの壊れた椅子で
長い話に相槌うって
そしていつも右と左に別れて

(作詞:岡本おさみ 作曲:よしだたくろう『リンゴ』より)

これは『UNITED COVER 2』でカバーされていた吉田拓郎の『リンゴ』という作品なんだけど、これって男女の別れの予感を表現した歌なのね。

私が『Good Luck!』コンサートを観にいった2017年5月27日は、札幌の別会場でもコンサートをやってる人たちがいて、4号はそちらを観に行った。 4号も井上陽水のコンサートに行きたがったんだけど、友人たちと前々から計画していたから、ボクらはその日、別々の行動をすることになった。

こんなことはなかった 少し前までは

2017年5月27日というのはただのコンサートの日じゃなくて、そういう予感を感じさせる一日でもあったんだ。

今日のささやきと 昨日の争う声が
二人だけの恋のハーモニー

夢もあこがれも どこか違ってるけど
それが僕と君のハーモニー

今夜のお別れに 最後の二人の歌は
夏の夜を飾るハーモニー

(作詞:井上陽水 作曲:玉置浩二『夏の終わりのハーモニー』)

どうやら、この『夏の終わりのハーモニー』は、ボクにとっては今年の8月20日以降の出来事を歌っているらしい。『夏の終わり』じゃないといけない理由がちゃんとあるんだ。 井上陽水というのは、どういうわけか、やることがピタリとはまってるんだよね。 なんだか恐ろしくなってくるくらい。 ま、43歳の8月にはそういうことがありますよ~ということで、このブログもそろそろこの辺にしとこうと思います。

矢印マーク UNITED COVER 2
2015年―井上陽水67歳のカバーアルバム
『リンゴ』収録

旅行から帰ってきたら、HP『肴はとくにこだわらず』にブログ記事を移植してまとめようと思ってるんだけど、『縁覚の経典』という付録と『あとがき』をそちらで書く予定です。

そのうち変な歌が世の中に流れるとおもうんだけど、それを聴いたら「そういえば布施仁悟って変なやつがいたな」なんて思い出してもらえたら嬉しいかな。

それではみなさん。

Good Luck!

[おまけ]
矢印マーク 井上陽水&玉置浩二『夏の終わりのハーモニー』

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縁覚の経典2~三祖『信心銘』~

浮世絵時代の旅はさぞかし楽しかったことだろう。

広重ブルーと呼ばれるベロ藍(あい)の空。
見る場所によって千変万化する北斎の富士。

写真や映像のない時代は想像力がすべてだ。 旅人の気分は現代よりもずっと浮き立っていたに違いない。 ましてや、それ以前となると文字や口伝えだけだったから、その時代の旅は、もう、ほとんど冒険と言ってもよかっただろう。 マルコ・ポーロの『東方見聞録』で黄金の国と紹介されたジパングは西洋人の心にどんな風に映ったのだろうか。

われわれ禅者の目指す“涅槃”へと続く道もまた冒険と言えるのかもしれない。 これもまさしく文字と口伝えだけの世界なのだから。

この冒険の顛末(てんまつ)を最も簡潔に記した文献を探すとしたら、三祖の『信心銘』に突き当たるのではないだろうか。

― 至道無難 ―
~ 至上の道をゆくことには何も難しいことを求められてはいない ~


この力強いメッセージで始まる146句584文字の道標詩は、私達の想像力をいやが上にもかき立てる。

― 止動無動 動止無止 ―
~ 止まってみえるものには動くことなき動きがあり、動いてみえるものも止まることなく止まっている ~


― 宗非促延 一念万年 ―
~ 宗門は急かされたり焦らされたりする時間の中にはない、ただ一念を懐くほどのわずかな瞬間に万年の時間がある ~


こんな正気の沙汰とは思えないめくるめく世界が次々と展開されてくる。

しかしながら三祖の詩の作り出すグルーヴに乗ってしまえば、われわれは冒険の先に待ち受けている難所という難所のすべてを乗り越えるための知識がバッチリ身についてしまう。 そんなありがたい仕掛けになっているのだ。

これから“涅槃”への冒険に乗り出すなら、物資が不足して困窮したり、怪我をして何日も寝込んだり、川で溺れてしまうようなこともあるだろう。

きっと、そんなときには三祖の助言がどこからともなく心に響いてくるに違いない。 われわれは、これからまさしく三祖の冒険を追体験するのだ。

つまり、『信心銘』は三祖の冒険奇譚(きたん)であり、宝の在処(ありか)を記した地図でもある。 だから私は、縁覚道のはじめに『信心銘』を暗記するほど読み込んでおいた。

これはその頃に苦労して訳したものである。それもまた非常によい勉強になったものだ。

よかったら使ってくれたまえ。

ダウンロードボタン 布施仁悟訳・三祖『信心銘』
B5の紙に印刷できるPDFファイル(282KB)。全18ページ。
著・布施仁悟
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縁覚の経典1~般若経典入門~

経典とは互いに響きあうものである。

『大日経』と出合ったことで真言密教の道に進んだ弘法大師のように、
修行者の運命を変える一巻が この世のどこかに存在するかもしれない。
その一巻に出合う道もまた正師と出会う道のように暗中模索を要するだろう。

また、己れと共鳴する経典は修行の程度に応じて違ってくるもので、
それを見出せるかどうかは修行者のセンスと真剣さにかかっている。
とはいえ、多少のガイドがあれば己れの一巻を見つける足しにはなるだろう。

縁覚道の歩き方を学び始めた40歳の8月に私は印象的な夢をみている。
私のもとに経典の巻物一式が贈られ、そこに一筆添えてあった。

「よくそこまで修行した。増上慢に気をつけよ」

私が“般若経典”を手にしたのは、それから後のことである。

ここでいう“般若”とは“彼岸に至る智慧”を意味している。
したがって、必ずしも『般若心経』『金剛般若経』などの経典を指すのではなく、
彼岸に至る智慧の書かれたもの全般を“般若経典”と呼ぶことにしたい。

私が40歳の8月以前に好んで読み込んでいた経典は二冊ある。
『法句経(ダンマパダ)』と『法華経(ロータス)』だ。

矢印マーク ブッダの真理のことば・感興のことば
こなれた現代語で読める法句経(ダンマパダ)
私の仏教に対する誤解は この本で初めて解けました。

『法句経(ダンマパダ)』は私の仏教に対する誤解を解いてくれた経典で、
お釈迦さまは悟りに至るための自我暴露の法を説いていたことがわかる。
最初に手にした33歳から40歳まで何度繰り返し読んだかわからない。

経典の霊験とか菩薩や明王の御利益を求める信仰の誤りにも気づけるから、
あらゆる経典への入口がここにあった。

矢印マーク 『図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説』
妙法蓮華経は人類共通の故郷の言葉で説かれている。
だから『法華経』は、最後まで読みきっても、
「どうせ読んだってわからん」としか書いていない。
禅者諸君!故郷の言葉を思い出せ。
さすれば“妙法蓮華経”が聞こえてくるだろう。

もう一つの『法華経』は悟りに至るための自我暴露の法を説いたものではない。
修行の指針および伝道の指針について書かれた経典である。とはいえ、
この『法華経』の性格を知っていた人物を私は百丈禅師くらいしか知らない。

ある意味、『法華経』は特殊な経典で、悟った人ほど誤読してしまうらしい。
普通の経典は悟りに至るための自我暴露の法を説いたものであるため、
そういう観点から読むと『法華経』の価値を誤解することになるのだ。

『法華経』は修行を完成した伝道者の落とし穴について書いてある。

修行の最初に読んでおき、そして修行の最後にも伝道のために読む経典。

それだからこそ大乗経典『法華経』は“諸経の王”なのかもしれない。

しかしながら、40歳の8月を迎えていた頃、私は限界を感じていた。
この二冊の経典が私の心をグリップする能力を失ってしまっていたのである。
すなわち、かつてのように読み耽(ふけ)る力がいまいち湧いてこないのだ。

そこで、あの夢をみた直後から新たな経典を物色することにした。
ここに私が訳出するものはその途上で共鳴しあった般若経典群で、
絶版で入手困難だったり、訳がひどくて読むに耐えなかったものばかりである。

これら般若経典群を読みはじめる前にひとつだけ注意点を述べておこう。

とにかく初心のうちは絶対に手を出してはいけない。

経典とは互いに響きあうものであるから共鳴しあう時節まで待つべきなのだ。

たとえるなら初心の頃はヒヨコが卵の殻の中で育つ発生時代といえる。

私は星まわりの法則を研究したり、天才作家の自己イメージを作り上げることで、
32歳から40歳までの8年間の長きに渡って己れの自我を完成させてきた。しかし、
般若経典群は それら法則や自己イメージの概念をぶち壊す真逆の教えなのだ。

それは自我の完成者が自我放棄に向かうための“縁覚の経典”なのである。
この段階的手順は明確にされてこなかったため、身のほど知らずの修行者は、
いきなり法則や自己イメージを否定し始めるけれど、それは大きな間違いだ。

自我を完成させる前に法則や自己イメージの概念をぶち壊そうとすることは、
ヒヨコが卵の殻をみずから破る時節を待たずに卵を割る行為に等しい。
それが取り返しのつかない結果を生むことは想像するにたやすいだろう。

まず法則を受け入れ、法則を信じ、正しい自己イメージの殻を身につける。
そうして己れの本心を見性する方法を学んだ者だけが自我を完成できるのだ。
こうした見性の過程を無視して精神分裂を起こした修行者を私は知っている。
ichojikinyu

禅は頓悟をたてまえとする伝統があるため こんな禅語も存在しているけれど、
これが「一超直入精神病院」になったら冗談にもならないではないか。

自我完成に至る道は人格統合の過程でもある。心理学の発達した現代なら、
その過程を無視すると精神分裂を起こすことは容易に理解できるに違いない。
つまり、般若経典群は初心者にとっては危険な経典ともなりえるのだ。

そうした般若経典の性格をよくよく心得てもらいたい。

それでは自我を完成した禅者諸君。自我放棄の経典群をご案内しよう。

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