Impossible Trial 4-2~禅者のための心随観講座~
| Mission 4 心随観をマスターせよ |
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ボクは心随観の実践例をこの本の中でしかみたことがない。 この著者はホンモノの瞑想を伝えようとしている。 だけど文才がまるでない。“玉に瑕”とはまさしくこのこと。 残念ながら絶版。古本屋で見つけたらマストバイだ。 |
もしも、蝶をつかまえ、花を摘み、星を愛でるようなことを欲しているなら、
坐禅ではなく自慰にふけって刹那的なエクスタシーに倒錯していればよろしい。
神様・仏様を見方につける、宇宙から幸運を引き寄せる、
天使がいるとかいないとか、超能力を身につけるとか、
そういうことを目指して坐っているだけのクルクルパアなら、
これから授けようとする心随観には耐えられないからやめておけ。
ボクはこれから諸君の心を握りつぶし、土足で踏みつけ、
ナイフでめった突きにし、血祭りに上げてやるつもりでいる。
理不尽で非道徳にも聞こえようが、ボクは偽善者ではなく禅者である。
それが道徳的に正しいかどうか。そんなことは大して気にならないのだ。
そもそも、それが慈悲であり愛なのである。
| 非常に近しい人間関係、中でも親子、恋人、夫婦の間では、人は傷つくことが多々あります。それがどうしたというのでしょう?傷ついたとき、それはまるで世界の終わりのように思えるかもしれませんが、そうではありません。傷つけば痛みます。どれくらい傷つきたいか、ではなく、どれくらい傷ついてもいいと思うか、それは、あなたがどれくらい愛し、愛され、愛から学ぶ意思があるか、を意味します。愛はあなたの教師です。ただし、それは決してあなたに、傷つくことを避けよとは教えません。 (ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.254-255「40 自覚した無邪気さ」) |
| 愛を信じなさい。愛があなたを傷つけるなら、徹底的に傷つきなさい。ズタズタになりなさい。愛によって真っ二つに引き裂かれた心から、もっと深い愛が姿を現すように。 (ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.255「40 自覚した無邪気さ」) |
人は傷つくまいとする度に心の重荷を一つ増やし、
傷つけまいとする度に心の重荷を一つ減らす。(布施仁悟)
この“傷つくまいとする心”と“誰かを傷つけようとする心”。
そこに諸君の劣等感は潜んでいる。
心随観を修することは、この劣等感と真正面から対峙することに他ならない。
無意識の壁の大部分は劣等感を素材として築かれているからだ。
それでは劣等感と対峙して無意識の壁に風穴をあける心随観を授けよう。
心随観はこうするのだ!まずは、その心の傷に向かって意識の進路をとれ。
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坐禅の入門書としては最適な本。 というのは葬式仏教の坊主が嘘つきだってわかるから。 だけどね。ここに書いてある心随観も嘘なんだよ。 そこに気づいたら卒業というわけ。 |
たとえば、ここにオツムの固い昭和のおとーさんがいるとしよう。
出世コースを外れた空しさから参禅しはじめたサラリーマン。影山道夫54歳だ。
| その日は夜勤で、仮眠を取りながら会社で一夜を明かすことになっていた。 17時頃、総務のおねーちゃんから健康診断の結果を受け取って道夫は青ざめる。 「糖尿病の疑いアリ」 考えてみれば掛け金を払ってきた保険の内容も良く覚えていない。 20時を過ぎて不安になってきた道夫が家に電話をかけると息子が出た。 「ちょっとお母さんにかわってくれないか」 「今いないよ。さっき電話があって今日はしばらく帰らないって」 「ど…どうしてだ?」 「美女の会で友達とお食事だって。たまにはハメをはずさせてもらうとさ」 「な…なぬぅ!いい歳こいて美女の会とは何事だっ!どうせケチなババアの集まりじゃないか」 「そういうことなら本人に言ってよ。じゃあね」 道夫のオツムにはたちまち想念が湧き上がる。 <<亭主が今まさに辛い仕事をしているというのに、オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて>> その瞬間…今まで聞いたこともない心の声が響いてきた。 <<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>> 道夫はその正体まではわからなかったけれど、そこに不快な“心のわだかまり”があることを54歳にして始めて知った。それに、滅入るにまかせて酒で気分を紛らわせてきたこれまでの自分とは違うつもりだった。参禅している電脳山養心寺の布施仁悟老師は初対面の時にこう言ってくれたのだ。 「54歳で参禅してくるとは素質がおありですね」 当初は弱冠37歳の若い老師に不信感を抱いていた道夫も、その一風変わった法語聞きたさに足しげく通うようになっていた。今こそ学んだばかりの心随観の技法を試してみよう、と道夫は思った。 |
<<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>>
この心の声の発せられる瞬間が心随観の入口である。
そこで、行住坐臥、いつでも心の声に耳を傾けておくようにするといい。
| さて、自分自身を知るためには、あらゆる瞬間ごとに、強制することなく、駄目だと決めつけることなく、あるいはまた、正当化することなく、絶えず(自分の心の状態に)気づいていなければならない。ものごとをあるがままに見る一種の受け身の警戒状態にあらねばならない。 (M・ベイン『キリストのヨーガ』P.77「第四章 「サタン」の正体は「自我」である」) |
すると日常の中の些細な出来事すべてが心随観の修行道場と化すのである。
また心の声の発せられる瞬間をヴィパッサナーでは“サティ(気づき)を入れる”
と呼ぶそうだから、ここでもそれを便宜的に踏襲したい。
最終的には日常に転がる様々なケースにサティを入れ続けてゆくことで、
三つの心の性質のうちの一つ目の特徴を自然に学ぶことになる。
心の性質その一:心はいかに彷徨うのか?
| もし君が甲の想念は正しく、乙の想念は間違いであると言ったところで、それは空しい。君が突きとめなければならないのは、なぜ心がさまようのかということなのだ。 (M・ベイン『キリストのヨーガ』P.73「第四章 「サタン」の正体は「自我」である」) |
正誤善悪の判断を下したとき。心の声は強く響いてくる。
<<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>>
このサティが入ったら、次に突きとめなければならないことがこれ。
心の性質その二:心はいかに欺くのか?
| 電脳山養心寺の便所へ続く渡り廊下は長い。 その壁には老師直筆の書がびっしりと貼られていて、便所の中にまで貼り付けてあるものだから、嫌でも眼に入ってきてしまう。おかげで参禅者の間では“相田みつをもどき”と老師は呼ばれていた。 『宝蔵は心のわだかまりの奥にある』 便所の金隠しの正面に張りつけてあった書の言葉が浮かんだとき、老師の法語が思い出されてきた。 「みなさんには心が彷徨って随息観を続けられなくなる瞬間があるかと思います。そんなときは随息観に戻ってはいけません。どうして心が彷徨うのかを探求してください。 “呼吸のリズムに戻れ”とか“集中の対象に戻れ”なんて指導する方もいらっしゃるようですけれど、それは皆さんにはまだ早いのです。そうすべき時節がきたら私が頃合よろしく教えます。ちゃんと皆さんのこと見てますからね。私の目玉はみなさんの便所にだってついて廻っているんですよ」 たしかにそうかも、と道夫は思った。 <<亭主が今まさに辛い仕事をしているというのに、オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて>> …オレの考え方が間違っているのかもしれない、と道夫は考えてみる。亭主が金を稼ぎ家族を養うのは当たり前の構図である。妻の久美子が家事をそつなくこなしてくれていることには何の不満もなかった。留守の間に貞淑の仮面を破ってどこかの男とシケ込んでいるわけでもない。食べ歩き仲間と作った「美女の会」とかいうやつの大それた名称は納得できなくとも、それはそれ。道夫の人生には何の過不足もないはずで、そう考えてみると、オレがどうかしているのかもしれない、と思えてきた。 そこへかつての同僚が顔を出してきた。同じく出世コースから外れたよしみで近頃再び親しくなってきた飲み仲間だ。 「道夫ちゃん、今日これからどう?いやあ、宝くじ十万円当たってね。オレ、おごっちゃうからさ」 「何だよタイミング悪いな。今日、夜勤なんだよね。また今度頼むよ。で、宝くじ当たったの?いいねえ、ツイてるねえ」 「そうなんだよ。でもよ、カミさんがね、友達同士で韓国に行きたいからそれ頂戴とか言い出してね。これ、オレの小遣いで当てたのよ。だから、きっぱり言ってやったんだ。オマエは三食昼寝つきでテレビ観放題じゃないか。そのうえ海外旅行だなんて虫がよすぎるってね。だいたい結婚してから働きづめで亭主のオレだって海外旅行なんか行ったことないのによ。女房甘やかすほど情けない男じゃねえよ、オレさまは。なあ、そうだろ?」 「うん、まあ、そうかもな」 …オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて、やはりおかしいと道夫は思った。 妻を甘やかすほどの情けない男になったらお天道さまに申し訳が立たない気もする。「男に生まれたからには男らしく生きなければいかん」とは死んだ父親からの遺言のようなものだった。同僚にだってバカにされているような気がして道夫は落ち着かない。 …道夫は妻の久美子に不満のあることを思い出した。 出世コースから外れたことがわかったときにこう漏らされたのだ。 「アタシだってがんばってきたんだけど…残念だわね」 オレの出世の足を引っ張りやがったくせに、と道夫は思う。一人娘である久美子の両親の介護に疲れて働きざかりの40代を棒に振った。あれさえなければもっとやれたはずなんだと道夫は思ってきたのである。 …ひとつとっちめてやろう、と道夫は思う。 久美子の作るオムライスはいつも不味かった。チキンライスはべたついているし、それを包むのは火の通り過ぎた薄焼き卵。結婚以来、久美子の作る料理にケチをつけたことはないけれど、今度こそ文句を言ってやると道夫は思った。 「オレはパラパラのチキンライスと半熟卵のオムライスを食べたいんだ!」と。 「オマエのオムライスなんか一度たりともウマいと思ったことはない!」と。 |
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つまり心随観の入門書がコレなのである。 霞ヶ関書房の本はAmazonで絶版扱いになっていても 大型書店で注文すれば取り寄せてもらえるはず。 いざとなれば出版社に直接注文するといい。 送料はかかるけどマーケットプレイスでカモられるより、 ずっといい。 参考までに…定価:5250円TEL:03(3951)3407 |
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解脱の真理の続編。前作の内容をさらに掘り下げている。 心随観のより実践的な内容でありがたい一冊。 続編なのに出版社が違うのはどういわけだ? 参考までに…定価:3360円TEL:03(3439)0705 |
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布施仁悟のおとーさんはオツム固いからね。 こういう理論的な本から坐禅に入門したわけよ。 たまにそっちが正解だったってこともあるから、 わからないもんだよね、これ。 |
この続きは近いうちに。
【追伸:2012年1月25日】
ちょっと余裕ができたので記事を書くペースを早めようと思う。
ボクは今年38歳を迎えるんだけど、近頃、悟境の進歩が著しい。
そう遠くないうちに“丹”ができるので、それからは縁覚道に入ると思う。
縁覚道に入ったら沈黙の行に専念しないと悟れないらしいから、
このブログも近いうちに断筆しなければならない。
ここで悟らなかったせいで生まれ変わってまた同じ苦労なんて御免だからね。
たぶん41歳まで沈黙を守ることになると思うから、
もしも、この一連の記事を読んでいる人で要望・質問のある人がいたら、
早めにコメント頂戴。できるかぎり応え、わかる範囲で答えます。
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